『新潮45』が休刊しました。同誌に掲載された記事が、人々から批判されたことが原因のようです。記事の内容についてのコメントは差し控えたいと思いますが、この一件で考えさせられたことがあります。
インターネットが発達し、最近では誰でも自由に自らの意見を発信することができるようになりました。「インスタ映え」などと言って、おいしそうな食べ物や美しい景色などを掲載することは、発信する方も、受け手の側も楽しい気分になります。しかし、同時に、根も葉もないいい加減な情報や、個人や多くの人々を傷つけるような情報も氾濫するようになりました。
日本では言論の自由が保障されています。自分の意見を自由に述べる権利が保障されています。だから何を言っても許されるのでしょうか。私たちは、自分が発信した情報によって傷つく人がいるのではないかということに心を配るべきではないでしょうか。私たちには言論の自由という権利とともに、他人、特に世間的に弱い立場の人々を守るという義務もあると思います。 “言論の自由とメディアの責任” の続きを読む
立場が変われば見方も変わる
大学時代、私は法学部の学生でした。法律に興味があるとか、弁護士や裁判官になりたいと思っていたわけではありません。あることが切っ掛けとなって国際政治や国際関係に興味を持ち、そういった勉強ができるところを探していたところ、たまたま私が入った大学は法学部に関連の学科があったというのが法学部を選んだ理由です。
余談ですが、当時は国際政治学部を持っている大学は少なく、私が入った大学のように法学部であったり、社会学部、文学部といった学部であったり、大学によって国際関係が学べる学部はさまざまでした。
したがって民法や刑法などは総論程度しか授業を取っていませんから、法学部の学生とは言っても、特に法律に詳しいわけではありません。それ以前に、それほど熱心な学生ではありませんでしたから、大学時代に学んだことを、今、どれくらい覚えているかと聞かれれば、ほとんど何も残っていないというお恥ずかしい次第です。
しかし、大学時代に学んだことで、1つだけですが、その後の生活や仕事で留意し、役立ててきたことがあります。それが表題の「立場が変われば見方も変わる」ということです。 “立場が変われば見方も変わる” の続きを読む
「費用対効果」の考え方
関西地方を襲った台風、北海道の大地震、と大きな災害が続きました。台風では、関西国際空港(関空)が高潮で浸水し、連絡橋に船が衝突して橋が損傷する被害が出ました。
関空は海上空港ですから、もちろん津波や高潮を想定して防潮堤が造られていたそうですが、その想定を超えた高潮に襲われ浸水してしまったとのことでした。最近は、50年に1度、100年に1度といった自然災害が日常茶飯事のように起こり、その度に「想定外」という言葉を耳にします。
2011年の東日本大震災の折には、想定を大きく超える津波に襲われ、多くの方々が犠牲になり、原子力発電所の事故には今も苦しめられています。この震災以降、想定外の災害を想定して、防潮堤を高くするなどの努力が続けられてきましたが、どのように想定しても、その想定を上回る災害が起こる可能性はあるようです。 “「費用対効果」の考え方” の続きを読む
財布がいっぱい、スマホもいっぱい!
随分以前からですが、私は長財布を使っています。表題の「財布がいっぱい」というのは、この長財布がいっぱいという意味ですが、お金でいっぱいになっているということではありません。「カードでいっぱい」という意味です。 “財布がいっぱい、スマホもいっぱい!” の続きを読む