あの日… 東日本大震災に思う 1

2011年3月11日は金曜日でした。震源地から離れた東京でも大きな揺れを感じました。いきなり大きく揺れるのではなく、揺れがどんどん大きくなってきて、どこまで大きくなるのかという恐怖を、今でもはっきり覚えています。
若いスタッフたちは少しパニックになっていたように思います。当時は『ロータリーの友』というロータリークラブ向けの雑誌の編集長で、そのときは印刷会社から届いた色校の確認をしていました。幸い停電にはならなかったので、私はすぐにコンピューターの電源を落とすように指示しました。事務所の前には大きな公園があり、近くの会社の人たちが避難してきていました。スタッフたちは外に避難しました。ビルの方がいらして、安全点検が済むまで外に出てくださいと指示をされましたので、私も一旦外に出ました。1時間くらいかかったでしょうか、安全が確認され事務所に戻りました。
東北で何が起こっていたのかを知ったのは、事務所に戻りコンピューターを立ち上げ、インターネットでニュースを確認した時です。川を遡る水の勢いに恐怖を覚えました。実際に現地にいらした方々の恐怖は計り知れないものがあっただろうと思います。事務所は日比谷通りに面していました。クルマが渋滞してほとんど動いていませんでした。歩道は歩いて帰宅する人たちであふれていました。スタッフがコンビニで残り少なくなったインスタントラーメンを手に入れてきてくれました。私が通勤に使っている路線は午後10時頃に運転が再開されました。帰宅できないスタッフを置いて帰るのは心配もありましたが、次の日は神戸に出張の予定が入っていたので、1時間ほど待ってから駅に向かいました。最寄り駅は外まで人があふれていていつになったら乗れるのかわからない状態でした。20分程歩いて別の駅に向かいそこから電車に乗りました。内臓が破裂するかと思うくらい混んでいました。
帰宅したのは2時近くになっていたと思います。出張の準備をして仮眠を取り神戸に向かいました。土・日の取材を終え、月曜日の朝は電車のルートを変え1時間くらい余分にかかって事務所に行きました。すぐに写真を扱っている会社に電話をして、この震災の写真を手配しました。実は、1か月前に起きたニュージーランドの地震のお見舞い記事を1ページ掲載する予定だったのですが、それを急遽変更して、東北で起こった地震のお見舞い記事に差し替えることにしたのです。金曜日に色校を返すことになっていたのですが、それができなかったので、印刷会社に連絡して少し待っていただくことができました。そうして、何とか記事を入れ替えることができたのですが、慌てていたので目次を差し替えることをすっかり忘れていました。これは苦い思い出です。

nf528主宰 二神 典子