リロケーションダメージ

リロケーションダメージとは、 場所や暮らしなどの生活環境変化がストレスとなり、不安や混乱が生じ、不眠、不穏、興奮、うつ症状、認知症の症状などが起きることを言うそうです。
私事で恐縮ですが、亡くなった母が生前、心筋梗塞で入院したときのことです。カテーテルの処置をしてもらい数日で退院して自宅に帰ってきました。本当は、もう少し入院をしていなければならなかったようです。当時、私は、休日もなく、早朝から深夜まで仕事のために家を空けていたので、病気の母を一人家に置いておくよりは、環境の整った病院にいてくれた方が安心だったのですが、主治医の先生と相談して、早めに退院させていただきました。
入院して母が軽い認知症のようになったからです。病気への不安と慣れない環境のせいで、そのようになってしまったようです。自宅に帰ってきたとき、まだ体力は十分に回復していませんでしたが、認知症のような症状は全くでなくなりました。今考えると、これがリロケーションダメージというものだったでしょう。
東日本大震災から8年がたち、復興住宅に入居した方たちの中に、不眠症や認知症などで悩んでいる方々が大勢いらっしゃることを知りました。阪神・淡路大震災のときも、復興住宅での孤独死が問題になりましたので、今回もそのようなことにならなければいいのだが、と心配をしていたのですが、残念ながら、以前の教訓が十分に生かされていなかったようです。この問題に対して、集会所をつくり、ボランティアの人たちが工夫をして、楽しくコミュニケーションができるような支援をしているそうです。素晴らしい活動だと思いましたが、ボランティア頼みでは数多くある復興住宅すべてを支援するには心許ないと思いました。また、数年ならともかく、長期にわたっての支援となるともっと困難になると思いました。さらに言えば、一度孤独に陥ってしまった高齢者にいくらボランティアの方が声を掛けても、家から集会所に連れ出し、さまざまな活動に参加してもらうのは難しいようにも思いました。
私は、復興住宅を設計する段階で、そこに住むであろう方々の心のケアを考えなければならないと思っています。集会所、集会室など人々が集まることのできる場所をつくるのは必要なことです。しかし、そこに行く気力すら失った方も多いはずです。それらの方々のケアはどうすればいいのでしょうか。
先述の、母と私が住んでいたのは公団の賃貸マンションでしたが、各階のエレベーターホールにベンチがありました。そこでは学校から帰ってきた子どもたちがお絵かきなどをして遊んでいることもありました。買い物帰りの同じ階の住人同士がエレベーターで話をしながら自分たちのフロアまで上がってきては、そのままベンチに腰かけて話を続けるという光景もありました。そのベンチのおかげで母は同じフロアの方たちとすぐに顔見知りになり、近くの区民センターで開催されている同好会に誘っていただいたりして、上京してきたばかりの慣れない生活を助けていただくことができました。
実は母が入院したとき、病院に連れて行ってくださったのも同じフロアの方でした。薬も母や私に代わって取りに行ってくださっていました。私の仕事が忙しくあまり家にいないのを知ってくださっていましたので、母の退院後、何かと気にかけて母に声を掛けてくださっていたのですが、そのおかげで私は仕事を続けることができました。
東日本大震災に話を戻しますと、本当は震災前のコミュニティーが、復興住宅でもそのまま継続できるといいのですが、さまざまな事情で難しいことも多いと思います。一方で、ご年配の方々が新しい環境になじむのはかなりハードルが高いことも事実です。しかし、どんなに出かけるのが億劫になっていたとしても、一人暮らしの場合には、買い物に出かけたり、病院に出かけたりする機会はあるはずです。そんな折にどうしても通らなければいけない所に、小さなスペースがあり、そこにベンチやテーブルがあれば、お互いに顔見知りになり、あいさつを交わし、そのうちに世間話をするようになって、新しいコミュニティーの形成を促進できるのではないかと思います。
もちろん、当面は専門的に支援をするポランティアの存在は大切ですが、そこに住んでいる人たちが自主的にコミュニティーを形成しなければ本当の問題解決にはなりません。そのためには、建物というハード面から環境を考え見直す必要があるのではないでしょうか。

nf528主宰 二神 典子