「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」の声に驚いて振り向くと、惣菜コーナーで高齢の男性と、幼児連れの女性。男性はサッサと立ち去ったけど、女性は惣菜パックを手にして俯いたまま。私は咄嗟に娘を連れて、女性の目の前でポテトサラダ買った。2パックも買った。大丈夫ですよと念じながら。
というツイートが大きな反響を呼んでいて、テレビの情報番組でも盛んに取り上げられています。
いろいろな意見があるようですが、私が言いたいのは「立場や状況によって答えは違う」ということです。ここに出てくる高齢の男性は、「お母さんの味」を大切に思う世代で、母親のつくるポテトサラダに人一倍懐かしさを感じていたのかもしれません。加えて言うなら、この方はポテトサラダを作ったことがないのだとも思います。女性の方は、わが子に手作りのものを食べさせたいと思いながらも、その余裕がないのかもしれません。
私は、ポテトサラダにはある種のこだわりをもっています。大学生のころ時間が十分あり、もともと食いしん坊で食べることには手間暇をいとわなかったので、工夫していろいろな料理を作っていました。その中で、ポテトサラダも私なりの具材と隠し味を工夫して、自分ではそれが最高だと思っています。
しかし、雑誌の編集長時代は忙しくてポテトサラダを作る時間の余裕などなく、食べたくなるとスーパーで買っていました。今は、その時によって、作ったり、買ってきたりです。
多くの方がおっしゃっていますが、ポテトサラダは意外に手間と時間がかかります。簡単に見えますが、奥深い食べ物です。ですから「お母さんの味」にもなるのでしょうが、子育てに追われている母親にとっては、大変な作業でもあるのです。いえ、時間があっても、なかなか大変なのですよ。
加えて、いろいろな具材を入れますが、少人数の家族では、使う材料より残ってしまう材料の方が多く、それらを使いきれないで無駄にしてしまうこともあります。今はポテトサラダに限らずいろいろな総菜が販売されていますが、結局のところは、できたものを購入する方が経済的な場合も多いのです。
最初に「立場や状況によって答えは違う」と書きましたが、このことはポテトサラダや食べ物に限らず、あらゆることに言えると思います。他人を批判したり、批評したりする前に、まずは相手の立場や、いろいろな人たちの状況を想像して、そのことも踏まえて意見を述べるべきです。
現在は多様性に富んだ時代です。答は一つではありません。自分以外の人の立場や状況を想像することが問題解決につながるし、そのことによって新しい発見もあるのではないでしょうか。
nf528主宰 二神 典子