武士道は男たちだけのものではない

先日、「鈴木貫太郎記念館」(千葉県野田市関宿町1273)を訪問しました。鈴木貫太郎氏は、第2次世界大戦終戦時の内閣総理大臣。二・二六事件(1936年2月26日)の折には襲撃を受けたものの一命をとりとめました。
前述の記念館には、鈴木氏の遺品が展示されていて、氏の生涯や昭和初期の出来事を知ることができますが、中でも私が一番感動したのは、入口近くで繰り返し放映されていた、たか夫人が二・二六事件の状況を語っていた音声(夫人の写真付き)です。
夫人は、淡々と正確にその状況を話していましたが、突然、大勢の軍人に押し入られた時の夫人の行動、毅然とした態度は驚くばかりです。襲撃を聞いた夫人は自らも死を覚悟したようです。数か所を撃たれた夫の息がまだあることを知った夫人は、最期の別れをしたいと考え、「とどめを」という声を「とどめはお待ちください」と制止したとのことです。そして「何でこんなことになったのか」と指導者に聞き、名前を尋ねたそうです。
この時の夫人の対応、そして思い出したくもないであろうその時の状況を淡々と語る声を聴き、自分ならとてもこんなに冷静ではいられないだろうと思いました。
平成ももうすぐ終わりを迎えようとしている今、昭和ははるか遠くになってしまったようにも感じます。まして江戸時代や明治維新などは遠い昔の歴史でしかないと思っていましたが、昭和初期のころは、まだ武士道の精神をもった人々がいたのだということを、たか夫人の証言から知ることができました。立場は違えど、鈴木氏も襲撃側の指揮官・安藤輝三陸軍歩兵大尉も武士道の精神をもっていたのでしょう。
同時に、たか夫人から、武家の妻の覚悟のようなものを知ることができたように思います。武士イコール男性、武士道イコール男性のものと考えていましたが、夫人の話に女性たちにも武士道が生きていたに違いないと思いました。そしてその精神を受け継いだ人たちが、昭和という時代にまだ存在していたということに驚きました。
二・二六事件の折、襲撃されて何人もの人が亡くなっていますが、瀕死の重傷を負いながらも鈴木貫太郎氏が一命をとりとめたのは、この気丈な夫人の行動があってこそだったのであろうと思います。

nf528主宰 二神 典子