4月1日、新しい元号が決まり発表されました。その瞬間を注目していた人も多かったようです。私は、その時、外出中でテレビのない所にいなければなりませんでしたから、テレビの録画予約をして出かけました。幸い、スマートフォンで中継を見ることができ、リアルタイムでその瞬間に立ち会うことができました。こんなことができたのも、平成時代30年間にいかに技術が進歩し、それによって私たちの生活が変わったかの表れだと思います。
さて、新しい元号の発表に、人々が何を期待していたのか。元号が変わることによって、何か新しくいいことが始まるのではないかとか、これを契機に何か新しいことを始めようという思いを持っている人が多かったのだと思います。私自身もその一人です。
しかし、これをビジネスに結びつけようとする人たちもいました。新元号が発表された瞬間から慌ただしく動き出し、新元号入りのグッズを作成して、1~2時間後にはそれらが店頭にならび、それを待っていたかのようにどんどん売れていきました。こんなことができたのも、コンピューター技術が発達したおかげですが、その発想や販売方法は旧来通りのアナログ的感覚で、面白いと思いました。
また、その日のうちに、社名を新しい元号に変えた企業もありました。早い者勝ちです。一番乗りならメディアが取材に来てくれて、広告効果は計り知れません。
新商品の発売にしても、社名の変更にしても、新しい元号を自社のビジネス戦略に生かそうという精神とたくましさは悪いことではありません。しかし、元号の発表とともに新しい手口の詐欺事件が起こり、お年寄りの方々が被害に遭ったことは許せません。被害者ばかりではなく、皆の明るい、晴れやかな気持ちに水を差すことにもなります。
ところで「令和」という新しい元号を耳にした時、私は少し違和感を覚えました。理由は簡単で、耳慣れない言葉だったからです。これは平成という元号を初めて耳にしたときも同じでした。昭和生まれの私にとっては初めての改元でしたから、新しい元号に慣れるには一年くらいかかったように記憶しています。しかし、今回は一日もたたないうちにすっかり耳慣れてしまい、違和感がなくなりました。
出典は『万葉集』ということで、早速、『万葉集』ブームが起きているようですが、編集者の私としては、やはり言葉の持つ意味が気にかかります。テレビなどでは、「令」の意味、「和」の意味を説明して、このような意味です、このような思いが込められていますと紹介をしていました。
私自身は、典拠となった「初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す」の「令月」という言葉が気になりました。この「月」をはじめ「moon」の月と誤解していて、どのような月のことだろうかと考えたからです。広辞苑を引くとすぐに「moon」ではなく「month」だとわかりました。「万事をなすのによい月。めでたい月」とありました。
それを見て「なるほど」と思ったわけですが、2つ目に書かれていた意味を見て驚きました。「陰暦2月の異称」とあったからです。新しく天皇に即位される皇太子さまのお誕生日は2月23日です。もちろんこれは陰暦ではありませんが2月のお生まれということで、提案者がそこまで意図したのかどうか、単なる偶然だったかどうかはわかりませんが、そのことを知って、より新しい元号が意味深いものに思えてきました。
多くの人たちと同様に、新元号の発表に少々浮かれている私ですが、実際には、平成になった頃から元号ではなく西暦っています。恐らく、今後も「令和〇年」ではなく、西暦で表記すると思います。元号と西暦の変換が面倒くさいというのがその理由で、何かの思想、信条があるわけではありません。
令月という新しい元号が意味するような、明るく平和な、いい時代になることを祈るばかりです。
nf528主宰 二神 典子