勝手にやらせていただきます!

ここのところ新型コロナウイルスに関する話題ばかりで心苦しいのですが、今週もまたその話です。
4月7日、新型コロナウイルスの感染拡大に関して緊急事態宣言が、東京都、千葉県、埼玉県、神奈川県、大阪府、兵庫県、福岡県に出ました。安倍首相が国民に向けてメッセージを発信しましたが、具体性に欠けていたように思ったのは私だけではなかったと思います。これを受けて該当する都府県の知事も記者会見を開いたりテレビの情報番組に出演したりして、それぞれからの要請について話をしました。しかし、いずれも外出を控えてくださいというお願い以上に具体的な内容はありませんでした。事前に具体的に営業自粛について予告していた東京都の小池知事も国との調整ができていないということで、もやもやとした会見だったように思います。
しかし、一夜明けた今日、街は静まり返っています。百貨店やショッピングセンターをはじめ大手やチェーン店を中心に、今日から営業自粛に入ったからです。飲食店をはじめとして、個人商店でも休業に入ったところがあります。
この非常事態に飲みに行ったり、ライブハウスに行ったりして感染が広がったというニュースが毎日のように取り上げられていますが、そんなことがニュースになるほど、これらのケースは例外的なもので、実は、ほとんどの人は気をつけているのだと思います。 “勝手にやらせていただきます!” の続きを読む

緊急事態です

新型コロナウイルスの感染は拡大し続け、世界中を恐怖に陥れています。このウイルスは、何よりも人々の健康を奪い、命を奪うことが一番恐ろしいのですが、多くの方々は、経済への影響も心配されていると思います。
グローバル化と言われて久しいこの時代に、国境を閉ざして、人々もモノも行き来することができなくなりました。国境を越えて入ってくる部品が入らなくなり、工場が動かなくなりました。旅行者が来なくなって、ホテルや観光地が打撃を受けました。さまざまなイベントや会合が中止になりました。人が街に出なくなって買い物や飲食をしなくなりました。
経済損失は計り知れませんし、この状況が今後いつまで続くのかもわからないのです。と、評論家のように一言で片づけられないのが、個々の企業、個々の店です。嵐が吹き去るまでじっと耐えられればいいのですが、その前に立ち行かなくなってしまうと心配されている経営者も多いことでしょう。では、こんな時にいったい何をすればいいのでしょうか。 “緊急事態です” の続きを読む

自己責任…でも「決めてくれたら従うよ」

日本国内で、特に都市圏で新型コロナウイルスの脅威がジワジワと迫りくる中、東京都や周辺の件では、不要不急外出自粛の要請が出されています。多くの人は、これに従っていますが、一部の人たちが「自己責任でやっています」と、遊びに出かけています。若い人と言われますが、年配者にもこのような人は結構いるようです。
自分の命が危険にさらされるかどうかは本人の勝手、つまり自己責任で済ますことができるかもしれません。しかし、新型コロナウイルスの感染に関しては、自分が感染するリスクだけではなく、そのことによって身近で大切な人の命、そしてそれらの人たちにつながる多くの人の命を危険にさらすことになります。それでも責任を取ることができるのでしょうか。 “自己責任…でも「決めてくれたら従うよ」” の続きを読む

マイナスをプラスに変える

新型コロナウィルスの感染が拡大している影響で、遂にと言いますかようやくと言いますか、今夏に予定されていた東京オリンピックの延期が決まりました。さまざまな状況を考えると、当然のこと、仕方がないことと思われる方は多いのではないでしょうか。
一方で、オリンピックに合わせたさまざまな取り組みをしてこられた方々にとっては、大きな打撃となることでしょう。ここのところのインバウンド需要の増加がオリンピックによって拍車がかかることを期待して、都内には新しいホテルがどんどんできています。オリンピック期間中には宿泊予約が取れないほどでしたが、恐らくほとんどがキャンセルされることになるでしょう。それでなくても新型コロナウィルスのせいで宿泊や宴会等のキャンセルが相次いでいるこの業界のこと、「オリンピックまでがんばれば…」と踏ん張っていた経営者の方々は目の前が真っ黒になっていらっしゃることと拝察いたします。 “マイナスをプラスに変える” の続きを読む

あの日… 東日本大震災に思う 2

2011年3月11日、東日本大震災が起こったとき、ビルの点検のために1時間ほど外に避難していたことは、前回のコラムに書きました。そして、事務所に戻ってコンピューターを立ち上げインターネットでニュースを見て津波のことを知ったと書きました。
その時なぜインターネットのニュースを確認したのかといえば、その前に確認したメールに地震だけではなく津波のお見舞いも書かれていたからです。「津波?」その意味が理解できなかった私は、インターネットで情報を探すことにしたのです。
私が受け取ったメールの差出人は、イギリスのロータリークラブの会員でした。そこにはお見舞いだけではなく支援の申し出も書かれていました。そのメール届いたのは津波が発生して30分ほどのころ。日本から遠く離れたイギリスの方が渦中にある私たちよりずっと早くその情報をキャッチしていたのです。 “あの日… 東日本大震災に思う 2” の続きを読む

手書きのマジック

随分古い話ですが、原稿依頼や貴重なポジフィルムの貸出依頼などは、専門の会社に依頼して、和紙にタイプで打っていただいていました。ワープロが導入されると、ワープロで手紙を打って、和紙に印刷して送りました。ワープロはそれほど手間がかからないのですが、「丁寧にタイピングしていただいて恐縮です」といった返事をいただいたものです。
それからしばらくしてワープロが普及した頃、私は和紙の便せんに万年筆で依頼状を書いて送っていました。その頃はタイプ印刷のありがた味はなくなり、反対に手書きが重宝されるようになってきたからです。「ご丁寧に手書きのお手紙をいただき、恐縮です」と言われるようになりました。 “手書きのマジック” の続きを読む

あの日… 東日本大震災に思う 1

2011年3月11日は金曜日でした。震源地から離れた東京でも大きな揺れを感じました。いきなり大きく揺れるのではなく、揺れがどんどん大きくなってきて、どこまで大きくなるのかという恐怖を、今でもはっきり覚えています。
若いスタッフたちは少しパニックになっていたように思います。当時は『ロータリーの友』というロータリークラブ向けの雑誌の編集長で、そのときは印刷会社から届いた色校の確認をしていました。幸い停電にはならなかったので、私はすぐにコンピューターの電源を落とすように指示しました。事務所の前には大きな公園があり、近くの会社の人たちが避難してきていました。スタッフたちは外に避難しました。ビルの方がいらして、安全点検が済むまで外に出てくださいと指示をされましたので、私も一旦外に出ました。1時間くらいかかったでしょうか、安全が確認され事務所に戻りました。
東北で何が起こっていたのかを知ったのは、事務所に戻りコンピューターを立ち上げ、インターネットでニュースを確認した時です。川を遡る水の勢いに恐怖を覚えました。実際に現地にいらした方々の恐怖は計り知れないものがあっただろうと思います。 “あの日… 東日本大震災に思う 1” の続きを読む

手帳が空っぽ

ほとんどの小・中・高等学校が、今週の初めから休校になりました。2月27日、第15回新型コロナウィルス感染症対策本部において、安倍晋三首相が「全国すべての小学校、中学校、高等学校、特別支援学校について、3月2日から春休みまで臨時休業を行うよう要請した」ことによるものです。その後、29日には首相がこの要請について記者会見を行いました。
加えて、多くのイベントが中止されたり、テーマパークが休園になったり、企業が在宅勤務を実施したりと、新型コロナウィルスによる影響が広がっています。
私が参加を予定していた会合やセミナーなども、次々と中止、延期の連絡が届いています。手帳に書いておいたスケジュールを一つひとつ消していったら、3月のページはほとんど文字がなくなり、残りは2つだけ。恐らく残りの予定もキャンセルになると思います。 “手帳が空っぽ” の続きを読む

マイナスをプラスに変換 2

前回に続いて新型コロナウィルス関連の話題です。新型コロナウィルスの感染者が増えていた中国・武漢から、政府のチャーター便で最初に帰国された人たちがしばらく滞在することになった千葉県勝浦市のホテル、最初は名前を発表されていませんでしたが、すぐにそれがホテル三日月だとわかりました。勝浦という地名も、ホテル三日月も、千葉県をはじめ関東周辺の方々はよくご存じだと思いますが、それ以外の方々には馴染みの薄い名前ではないでしょうか。
いくらきちんと検査がされて大丈夫と言われても、新しくて正体がよくわからないウィルスのこと、帰国された方々を受け入れるのは、ホテルにとって勇気と大きな決断がいったに違いありません。 “マイナスをプラスに変換 2” の続きを読む

勇気ある撤退

小学校6年生のとき、林間学校で大山(だいせん 鳥取県)に登りました。その日、朝から天気はそれほど良くなかったのですが、9合目を過ぎたあたりだったでしょうか、先生の指示で引き返すことになりました。頂上は目前です。後から登ってくる人たちは私たちを追い越して頂上を目指しています。
「ここまで来たのだから頂上まで行きたい」と思ったのは私だけではなかったと思います。随分下まで降りてきて昼食を取っているときに、雨が降り始めました。私たちは急いで荷物を片付けて出発しました。細い山道はすぐに川のようになってしまいました。宿に着いたころには、みんなびしょ濡れです。あのまま頂上まで行っていたら、私たちはもっとひどい目に遭っていたことでしょう。
「山は危険。天候が変わったら勇気をもって引き返すことが大事だ」。随分以前のことですから、具体的には覚えていませんが、そのとき先生はそのような話をしてくださいました。そして、それ以来、私の中に「無理をしないで引き返すことが大事な時もある」ということが、深く刻まれました。 “勇気ある撤退” の続きを読む